2004年1月26日号
「今週の談話」
映画「解夏」を観ました。さだまさしさん原作の長崎を舞台とする映画と言うことで観てみたいと思っていましたが、主演が石田ゆり子さんと知って「それでは」と思い立って出かけました。私は清楚で知的な魅力にあふれた石田ゆり子さんのファンなのです。
この映画は難病のベーチェット病と難解な仏教用語の解夏をキイワードとしていて、テーマが極めて重いのです。この重さを軽くするため、シンプルな純愛劇として分かりやすく作られています。
推測ですが、偶然見つけた(多分)解夏と言う言葉に感動したさださんが、敬愛する盲目の郷土作家であった宮崎康平さんの人生とかぶせて小説としたのかもしれません。解夏と言う言葉は、長い苦しみから解放された瞬間のたとえとして使っています。失明した時は、失明する恐怖から解放された時であり、これをこの人の解夏としています。
長崎の風景は綺麗に撮られています。観光案内映画かと思うほどです。長崎の人は大浦天主堂側から長崎港を見ることは余りありません。たいていは平和公園の方角から見ていています。従って、映画に出てくる風景は新鮮なものに映ります。
静かな寺町界隈も一つの舞台です。心地よい風が感じられます。ここにある白いサルスベリは失明の象徴として、印象的に描写されています。
長崎は坂の街です。長い坂は結夏から解夏にたどり着く距離でもあります。
港、外国船、教会、寺、墓地、中華街そしてさださんの持つ詩島まで出て来ます。私は浦上天主堂界隈がくわしいのですが、こちらは出て来ません。
東京の絵画館で長崎の街の風景画が登場します。私はこれに似た絵を持っています。長崎を離れる時に買い求めた記念の絵です。
映画は泣かせる場面を繰り返し繰り返し作っています。純愛は泣けるのです。一度だけの愛は純愛です。光明を失うことは、悲しみです。泣けます。しかし、この泣きの場面では切り替えが早く、悲しみにおぼれることなく、淡々と悲劇と純愛を描いています。私は、ドロ神父の出津の教会で石田ゆり子さんがマリア像に手を合わし、祈るシーンが一番泣けました。
磯村一路監督は大変上手に撮っています。感心しました。笑いの場面も意識的にたくさん作り、巧妙です。山田洋次監督を彷彿とさせるうまさです。
石田ゆり子さんはすばらしい。背筋を伸ばした姿には強い意思を感じます。まばゆいほどの美しさです。凛とした輝きを持っています。この人をモデルに仏像を作れば、すばらしい作品が生まれそうです。その他の俳優さん達も実に芸達者です。特に仏教家を演じた松村達雄さんが深く渋く、印象に残りました。
私達はいつも長い坂道を登っています。そして、それぞれに苦悩から解放されるときがあります。意思を持って苦悩を自ら解放するときそれが解夏です。
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「でんでらりゅうの歌」
でんでらりゅうば
出てくるばってん
でんでられんけん
出てこんけん
来ん来られんけん
来られられんけん
来―ん来んっ
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