2010年12月19日号
「今週の談話」
今年も慌ただしく暮れようとしています。
私にとって、趣味の世界では印象に残る一年となりました。
今年は俳句に本格的に取り組みました。
インターネットの句会に参加し、各種の俳句大会に投稿して腕を磨きました。
いい賞をもらうこともあれば、あえなく落選することもあり、それなりに喜怒哀楽を楽しめました。
俳句には様々なスタイルがあり、入り込むとそれなりに楽しく、充実した思いをします。
いわゆる伝統俳句は正岡子規、高浜虚子の流れを汲んだ花鳥風月の写生俳句ですが、素直に詠んだものはインパクトが弱いため、今では評価されにくくなっています。
大きく飛躍する滑稽俳句は面白みがありますが、駄洒落俳句に陥れば、お遊びとして文学と離れるようになります。
若い人たちがチャレンジしている現代俳句はまさにポップアートと同じで、思い思いの言葉をパズルのごとく組み合わせて、意味不明の句が多くなって読み手を困らせます。自己満足に終わる危険と斬新的文学の境界を泳ぐことになります。
結局、私がたどり着いた俳句スタイルは、視点を変えてものを見、わかりやすい言葉を使い、できるだけ楽しく明るい句に仕立てることです。
このスタイルにしたのは、できるだけ脳を働かせ、脳内の神経細胞を活性化させて、脳内血流を増やせば、若返りができるかもしれないと考えたからです。
見たまま、聞いたままを俳句にしても、脳細胞は余り活動しません。
誰も気づかない視点でものを見、それを言葉にする作業は生みの苦しみを味わうことになります。
五七五の17音の中に季語を入れるという簡単なルールに縛られ、頭の中で言葉を混沌とさせてから、一つの句として整理する苦労により脳細胞を活性化させることができ、達成感を得ることができます。
苦労して作った俳句がどのように評価されるかで、また期待と不安、喜びと悔しさを味わい、感情の起伏を楽しめます。
これが今を生きていることなのです。
俳句を作ることは、私が生き生きと過ごすための必要な道具となりました。
来年も脳細胞を活性化させ、感情の起伏を味わうため、俳句を作り、今を楽しく生きていきます。
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年の暮れと言えば「煤払い」です。
「煤払い」は正月の準備の一つで歳神様をお迎えする神事ですが、実際のところは笹のほうきで一年分の汚れを落とす大掃除のこととなっています。
私も笹を切ってきて、玄関のくもの巣などを落しました。
取りたての笹を回して煤払ふ
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