「私の俳句論」
宇宙の塵が集まって星々が生まれ、周りの星と星が引っ張りあって惑星となります。
太陽系などの惑星はさらに集まって、銀河系を形成します。同様の星々は無限にあり、また宇宙は広がっています。
形あるものには寿命があります。地球も太陽もいずれ爆発して消滅します。
広い宇宙で高度に進化した生命体が存在するのは地球だけかもしれません。
地球は奇跡の星です。水が生まれ、酸素が発生して、生命体が発生しました。生命体は限りなく進化を続けています。
この宇宙と生命の成り立ちが、俳句の世界を支配しています。
太陽、地球、月が万有引力で引かれあっている関係は、豊かな自然と四季の変化を生みます。
この太陽、地球、月の三者の関係は俳句の五・七・五の関係に反映されています。五・七・五はそれぞれ引き合い、反発しあって一つの宇宙を形成します。
自然界と人類はいずれ、消滅する運命にあります。この自然界の運命を我々は知っているため、自然界の姿を正確に記憶に残そうと、様々な方法を試みてきました。
絵画、山水画などの風景画と並んで、俳句の写生句もまさにこの自然界の掟に従う行為にほかなりません。記録こそが大切なのです。句碑にすれば永遠に写生句がイメージとして残されます。全国各地でこのような句碑や俳句が残れば、地球の偉大な財産となります。日本中をてくてく歩いて地方の自然と風習を記録した民俗学の大家、宮本常一氏の業績に匹敵する大資料となります。
自然の営みを詠む俳句はこのようにして、天の配剤として生まれたのです。
私たちの故郷は宇宙のわずかに2つの塵から始まっています。私たちが星々を詠むとき、それはふるさとのはるかな先祖に想いを馳せているのです。月も星も銀河もしかり。
私たちは海から生まれ陸に上がりました。私たちの体内は海水と同じ組織でできています。海を賛歌するのは、私たちの先祖への祈りなのです。
物質と物質の間は引力で引かれあっています。五・七・五に言葉を入れるとイメージが生まれ、質量が与えられます。五/七・五と切れるとき、「五」と「七・五」の間にイメージの質量が生じ、二つのイメージが引っ張り合う関係となります。この「引力」を「切れ」といいます。一般に「切れ」とは「間」であるといわれていますが、私は「切れ」とは「引力」だと思います。引き合って、そこに共鳴したり反発したり、様々な複雑な関係が生まれます。俳句の深い味わいが生まれるのです。月の引力で地球の潮の干満が生じることを想像してください。
五/七/五と2か所で切ることは嫌われますが、「五」「七」「五」のそれぞれをイメージの物質と考えれば、太陽・地球・月の関係のように、面白い関係が生まれるため、私は積極的に認めていいのではないかと考えています。
たとえば、「目には青葉山ほととぎす初がつお」がいい例になります。
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進化のためには刺激とゆとりが必要です。写生句だけでは、進化が止まります。常に刺激を加えたりゆとりを与えたりしなくてはなりません。そこで滑稽句が生まれたのです。これは、俳句が進化していくための必然であります。
カメラやビデオが生まれ、写生句を残す意義はこれらに取って代わられました。写生句の意義は薄れてきました。これからは滑稽句の時代となりそうです。
笑うことにより免疫力は活性化されることが証明されています。医療には「笑い療法」もあります。笑いを誘う滑稽句は現代に必要とされる俳句です。
江戸時代の滑稽句は俳諧連歌の発句です。現代の滑稽句は俳句が独立してから新しく生まれました。
伝統俳句の中にも、滑稽俳句はたくさん詠まれています。新聞の俳句欄をみると、意外に滑稽句が多いことに気づきます。正木ゆう子さんや小澤實さんは特に滑稽句を多く取り上げています。
あるときの読売新聞の正木ゆう子さんの選句です。
「鹿寄れば名刺代わりの鹿煎餅」「秋の薔薇君に迷わぬ僕があり」「青空を隔て綿雲鰯雲」「この肩に木の実おとせよ雑木山」「帽子ごと頬被りして刃物市」「月上げて八丈太鼓揺らす」「秋うらら授乳まばゆきベンチかな」「宵闇の木星のほかなにもなし」と10選句の内8句が滑稽句です。
またあるときの小澤實さんの選句です。
「マスクしてもの云う二人バスの中」「鱶捌く蜑の額に井桁皺(ふかさばくあまのひたいにいげたじわ)」「口紅がポセインセチアに勝ってゐる」「牛飲を嗤う馬食派年忘れ」「着ぶくれて昭和に戻る心地かな」と10句中5句が滑稽句です。
「滑稽句」は「かるさ」です。「かるさ」は「軽妙洒脱」です。イメージの物質が軽ければ引力も弱くなります。「引力」が弱いことが滑稽句の「かるさ」なのです。軽い言葉でつないでいけば、イメージはふわふわと軽くなり引き合う力もゆる〜くなります。滑稽句の本質がここにあります。
重い俳句に慣れると、軽い俳句が欲しくなります。そのため、新聞俳句欄の選者は滑稽句をよく選んで楽しんでいるのです。
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名句も見方を変えると滑稽句に見えてきます。
芭蕉の俳句を滑稽句として読んでみます。
「閑さや岩にしみ入蝉の声」
これは、奥の細道を歩いているとき岩石が崩落しそうになっているところに出会い、蝉の声が響くだけで大崩落が起きますよと警告しているのです。この岩の前には、この俳句を書いた注意板が立っています。
「古池や蛙飛びこむ水の音」
これは、古池に蛙が飛び込むのを見て、子供が落ちたら大変だと古池の危険性を指摘した俳句です。この俳句ができて以来、古池には囲いが設けられるようになりました。子供の命の大切さをも訴えています。奥が深い。
「五月雨をあつめて早し最上川」
「荒海や佐渡によこたふ天河」
これは、河川工事を本業としていた芭蕉が、東北地方の川と海の護岸が貧弱であることを発見して警告しているのです。これ以来河川と海岸の護岸工事が活発化され現代でも延々と続いています。工事責任者の頭にはいつもこの俳句が植えつけられていて、その呪縛から逃れることができません。
正岡子規の俳句をみていきます。
「鶏頭の十四五本もありぬべし」
これは、病状が悪化して目も見えにくくなり、二三本の鶏頭が何本にも見えて困ると医師に訴えている俳句です。自分の病気を治せない医者を非難する名句です。病院の医局ではこの句を張って医療の向上に励んでいます。
「いくたびも雪の深さを尋ねけり」
これは、水飢饉に悩まされていた子規が、雪が降れば夏の水の心配はしなくてすむと一安心している様子を詠んだ句です。この句は大渇水で悩まされている松山市の水道局の壁に掲げられています。職員が毎朝朝礼で唱和しています。
「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」
これは、すっかり医療不信に陥った子規が、もう医者に頼るのをやめて食事療法で自らを治そうと決意した輝かしい決意の一句です。柿を食べたら元気になったではないか、なあ法隆寺と問うと、ゴ〜んと鐘が鳴って答えてくれました。以降子規は一生懸命においしいものを食べて病気と闘いました。
高浜虚子の俳句はどうでしょうか。
「去年今年貫く棒の如きもの」
これはズバリ年越し蕎麦を詠んだ名句です。年越し蕎麦を食べていると生茹での固い一本の棒を発見しました。さすがに虚子は鋭い観察眼をもっていて、それをさりげなく文学の域まで高めました。日本蕎麦協会の受付の壁に高々とこの句が飾られています。
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