くが耳鼻咽喉科(愛媛県松山市北条)

週刊 談話室

■戻る

2024年8月25日号

「今週の談話」

お盆明けにフランスの俳優アラン・ドロン氏が死亡しました。88歳でした。彼の代表作の「太陽がいっぱい」は誰もが見たことがあると思います。これは青春の夢と挫折をサスペンス調に描いた映画で、売却が決まったヨットのスクリューロープが絡まり、その端にアラン・ドロンが刺した友人の死体が繋がっていたという最後のシーンがその映画音楽と相まって印象的です。

今回のパリオリンピックの印象を帰って来た選手たちが「フランスには二度と行きたくない」と語っていたことと重なりました。花の都パリでの大会をわくわくして望んでいた彼らは、貧しい食事カーテンの無い部屋エアコンが無く暑くて寝られない部屋などの苦情を訴えていました。

ここにスポーツ選手たちの夢と絶望を見たような感じがしました。「太陽がいっぱい」はパリオリンピックの不思議な予告編だったのかも知れません。

新聞ではアラン・ドロンの死亡記事の下に少し小さく別の死亡記事が載っていました。ヒット曲「受験生ブルース」で知られるフォーク歌手の高石ともや(たかいし・ともや、本名尻石友也=しりいし・ともや)さんが17日午後3時30分、病気のため京都市の病院で死去しました。82歳。北海道出身。1968年に発表した「受験生ブルース」が大ヒット。日本のフォーク音楽シーンをリードし、晩年までライブ活動を続け、マラソントライアスロンの愛好者としても知られていました。

高石ともやさんは本名が尻石さんなのかと、そのとき始めて知りました。「受験生ブルース」を歌うフォークシンガーなのだから高石ともやの芸名より尻石ともやの本名の方が好感度が高いように思いました。

私は平成元年に開業をしましたから今年で35年目になります。この間様々な印象を残している患者さんがいらっしゃいます。Kさん(70歳過ぎの女性)もその一人です。

Kさんは少し遠くから私の医院に来られて10年目になります。最初は両方の耳から耳だれが出て止まらない、と言って来られました。いつからですかと訊ねると4歳の頃からずっとですと答えられました。小さいころから慢性中耳炎となり、耳だれが止まらないので小学生の頃両耳の手術をしたそうです。しかし、その後もずっと耳だれが続いているそうで「70年間耳だれがでています」と笑っていました。

「これが治るとすっきりするのに」と言われました。

さっそく耳を診ると典型的な慢性中耳炎の術後状態で、中耳腔粘膜に肉芽組織がびっしりとできていました。これは、根気強く治療すれば治せます。

耳だれは、少し治療すれば治ります」と言うと、「本当ですか、70年耳だれが続いているのに」と不思議そうにしていました。

それから治療を行いますと右耳2か月後左耳4か月後治りました。その後以前10年ほど治療してもらっていた耳鼻科に何かで行ったとき、「耳はどうして治ったの」と訊かれたので、「どうしてと言われても、治ったのです」と答えたそうです。

その後は耳がまだすっきりしないと言うので通気治療を行い、耳鳴りがするというので耳鳴りの治療を行っています。一つ治ると次々に別の悪いところを思い出すようで、腰が痛いと言うので腰のツボの治療を行い、前から足が痛くて歩けないと言うので歩けるようにしました。最近では「前から胸が痛いのです。痛くて家ではずっと寝ています。内科でも脳外科でもこれは治らないと言われます。先生、この胸も治してくれるのですか」と言われるので、胸の痛みに効くツボの治療をすると「あれ、痛くない。長い間、どこに行っても治してもらえなかったのに。若いころからずっと痛かったのに」と感激した様子でした。足腰の痛み胸の痛みが幸いにして一回の治療で治ったのです。

今はほとんどの悩みは取れたのですが、耳鳴の治療、通気療法、ツボの治療などを継続して行っています。「もう悪くなりたくないので」と言って今も定期的に来られています。

不思議なものでこのような方にはどのような要望に応えられるのに、そうでない場合もあります。医師と患者さんとの間にも相性みたいなものがあるのかも知れません。

百日紅

百日紅そこにいるだけの無言劇

ページトップへ