くが耳鼻咽喉科(愛媛県松山市北条)

週刊 談話室

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2019年12月19日号

「今週の談話」

松山市医師会の「趣味の美術展」12月4日~12月8日の期間、愛媛県美術館南館で行われました。私は小石の作品写真俳句を出しました。多くの方に見ていただきました。来年も参加する予定です。

年末は12月28日(土)まで診療します。年始は1月6日から診療開始です。少し長いお休みになりご迷惑をお掛けします。

趣味の美術展

人間は生きれば曲がる秋の雲

アフガニスタンで長く人道支援を続けるNGO組織「ペシャワール会」の現地代表で、医師の中村哲さん(73)が4日、アフガニスタン東部で進めている灌漑工事の現場に向かう途中、銃撃され、亡くなった。中村医師はアフガニスタンの人々とともに、砂漠を緑豊かな農地に変えることに生涯を捧げた。

中村さんは1984年パキスタンに赴任して現地の人々の医療にあたり、86年にはアフガニスタンでも活動を開始。大干ばつに襲われた土地で、命を救うための水と食糧を確保するために、井戸掘り用水路造りなどに取り組んできた。アフガン人も行かないような危険な地域で井戸や用水路を作り、木々を植えてきた。会が掘った井戸は約1600本、1万6500ヘクタールの農地をよみがえらせ、15万人の難民が故郷に帰ることができた。灌漑した農地は福岡市の半分ほどである。

中村さんがパキスタンアフガニスタンに関心を持ったのは、九州大学の人たちが中心になった登山隊医師として参加したことがきっかけだった。子供のころから昆虫好きで、登山隊に加わった動機は、山で珍しい虫を見たかったからだが、現地の医療実情を目にして、医療支援を思い立った。

中村さんは現地の人々の生命と生活を最優先し、実行を旨とした。「催しものと議論ずくめの割に中身のない『海外医療協力』」と決別したり、多くの救援団体に批判的であった。

彼の残した言葉は「口先だけじゃなくて行動に示せ」「俺は行動しか信じない」「貧しいから不幸せではない」「20年間をふりかえりまして、人助けというつもりはないではなかったが、助かってきたのは自分たちの方なのだ」「裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々を動かすことができる」「こういった建設事業は、医師の仕事ではないかもしれないけど、これは平和運動ではなく医療の延長だと思ってやってきた」「飢えや渇きは薬では治せない。100の診療所より一本の用水路である」「欧米のNGOは格好いい機材を持ち込んで、情勢が悪くなるとすぐにいなくなる」などである。

「麦と兵隊」などを書いた小説家の火野葦平母方の伯父である(妹が中村の母)。外祖父で若松において港湾荷役業を営んでいた玉井金五郎氏が映画「花と竜」のモデルである。玉井金五郎氏は中村哲さんとそっくりである。

 

私の大学時代の同級生で大学病院に張り出されていたビラを見て「国境のない医師団」に参加した人がいました。最後はその医師団の会長にまでなったのですが、彼女の言葉は「現場に行かなければ命は助けられない。だから、リスクがあっても行くのです」。

二人とも私にとって超人です。身を削ってまで危険な地域の医療に飛び込んでいくこの姿勢は、私にはとても真似ができません。

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