「先生、低音がいいネ。バス、バス、バスで決まったネ」
 「なんですか?」
 「今度、ベートーベンの第九をすることにしたから、先生、バスをお願いネ」

 会合のあと、数人で連れ合って行った飲み屋でS先生と出会い、突然、「第九」の合唱団員にさせられてしまいました。
 私は、歌は下手ですが、ベートーベンの第九は、昔から大晦日にFM放送で聞いていて馴染みはあったので、「まあ、いいか」と思い、参加することにしました。
 100人以上も集まり合唱練習をしていると、ずいぶんと迫力のある音が出てきます。「そうか、ベートーベンはこの大きい音が聞きたかったに違いない」とふと思い当たりました。
 ベートーベンが高度の難聴であったことはよく知られています。そして音作りは耳で確認できないので、目で音符を追い、頭の中で音をイメージしていたといわれています。
 しかし、私はベートーベンはある程度聴力は残っていたと思います。そして、自分の耳でも聞こえる音楽として「第九」を作ったのではないかと考えています。
 この合唱の出だしは、「おお友よ、この調べではない!」から始まりますが、これはおそらく「そんな小さな声では歌うな、もっと大きく元気よく歌え」という意味に違いありません。自分の耳に聞こえるような大きい声で歌って欲しいと言っているのです。また、この合唱は大きな声で歌うところが随所にみられます。
 ソプラノ、アルト、テナー、バスがそれぞれ、つぎつぎに追っていく「フーガ」のところはまるで「ウワーン、ウワーン」と響く耳鳴りのように聞こえます。ベートーベンの耳に響いている耳鳴りを表現したのかもしれません。
 交響曲第九番合唱曲は、「歓喜の歌」といわれますが、これは、難聴の自分の耳にも初めて音が響いてくる歓びを表現したものなのでしょう。「第九」を聴きながら、「ああ、聞こえてくる、聞こえてくる!」とベートベンは涙していたに違いありません。

  この「第九」コンサートは、1995年1月15日、北条市の聖カタリナ大学のホールにて演奏されました。

(1995年1月)


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