「また、聞こえにくくなりました。治して下さいますか」
 大きいお腹をゆすりながら、愛敬たっぷりにTさんがやって来ました。慢性中耳炎で鼓膜に穴が開いたままになっているので、これを閉じてほしいというのです。
 「少し時間がかかりますので、待っていて下さい」と、鼓膜の上に麻酔液を垂らして待ってもらっている間に鼓膜穿孔閉鎖術の準備を行います。鼓膜の代わりになる膜を穴の大きさよりやや大きめに切り、消毒しておきます。鼓膜と代用膜の間をくっつける糊(フィブリン糊)を作成します。
 「Tさん、どうぞ」と、処置用ベッドの上に寝てもらいました。あらかじめ、麻酔していた鼓膜の辺縁と鼓膜の上をピックで引っ掻き、新鮮化します。
 「グーグー、グーグー」ベッドの上に横になった途端、Tさんは大いびきをかきはじめました。頭が揺れ、手許が狂いそうになります。辛うじて頭を押さえてもらって、鼓膜の上に接着剤を垂らし、素早く代用膜を鼓膜の上から貼りました。
 「Tさん、終わりましたヨ、聞こえますか」と、呼び起こすと、ハッと気付いたようにして、「ハアー、よく聞こえますらい」サッパリしたような顔をして満足気に帰って行きました。
 Tさんは、両側の鼓膜に中等度の穴が開いていました。初めは、紙を貼って簡易的に聴力の改善を図っていたのですが、耳を掻く癖があり、いつの間にか紙をずらしてしまうのです。鼓膜形成術を勧めても、時間がないから簡単にしてくれというのです。耳の後ろを切開して鼓膜の代わりにする組織片を取り、フィブリン糊でくっつける方法をしようかと言っても、「痛いのは、かないませんですら」と、断られます。それではと、今の方法を行うことになりました。右側はこの方法でうまく鼓膜を再生させることができましたが、左側は、何度も外れるのです。はたして、今回は成功するでしょうか。
 鼓膜穿孔を閉鎖する方法には、以前からある鼓膜形成術が確実ですが、時間のない人には不向きです。フィブリン糊が出てきてからは外来でも簡単にできる方法が考案されました。耳の後ろから組織を取ってきて鼓膜の下に入れ、糊で接着する方法は最も有名ですが、皮膚を切開したり、開いた皮膚を縫合したりする手間がかかります。代用膜を開いた鼓膜の下から糊付けする方法もあります。私は、最も安易なこの方法を主に行っています。状況に応じて、鼓膜の下から付けたり、上から付けたりしています。
 成功すると患者さんに、大変喜んでもらえるので、鼓膜に穴の開いている人を見つけては治しています。

(1995年6月)


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