「臭うようになりました。うれしくて、うれしくて、何でもかんでも嗅ぎ回っています」
 Hさんが眼を輝かせながら診察椅子に座っています。臭いがないということで長い間治療をしてきました。1年前に一時臭うようになっていましたが、最近はまた、臭わないと言っていたのに、突然嗅覚が戻ってきたのです。「10年間臭いがなかったのにやっと臭いが戻りました。先生を信じて7年間も治療を続けて本当によかった。友達に、まだやめないのと言われていたんですよ」
 カルテをめくってみると、開院以来ずっと7年間治療をしていました。初診時に「3年間の嗅覚低下。感冒が原因と考えられる。治療を受けてきたが改善していない。嗅覚テストでは反応は弱い」と記しています。治療は葛根湯加川辛夷と鼻用スプレーのみです。
 嗅覚低下症の人は時々見受けますが、たいていは2〜3カ月治療して治らないと来院しなくなる例が多いようです。
 鼻の奥には、1〜2平方センチほどの嗅粘膜がありますが、この粘膜や神経が、かぜのウイルスに侵されて臭いがわからなくなることがあります。アレルギー性鼻炎や蓄膿症でも臭いがなくなることもありますので、原因を確認することが大切です。アルコールなどの強い刺激臭は、三叉神経という別の神経でも感じることがありますので、注意する必要があります。
 治療は、鼻用スプレーと、ビタミン剤や循環改善剤を用いるのが一般的です。治療期間は半年以上は続ける必要があります。
 Hさんは10年目で臭いが戻りましたが、Oさんの場合は、半年で少し臭いが出てきて、2年目で完全に元に戻りました。
 かぜをひいたあと、臭いがなくなり、近くの耳鼻科で3カ月治療を受けたそうですが、治らないと言ってOさんは来院しました。治療方法は、どこでも同じようにしているのですが、私はOさんには、辛夷清肺湯(しんいせいはいとう)と鼻用スプレーを使ってみました。薬を投与後、少しずつわずかに臭うようになってきました。これから先は、根気強く、薬を使ってもらうしか方法がありません。それから除々に改善し、2年後に完全に治りました。
 HさんやOさんを見ていると、嗅覚低下症では、治ることを信じて治療を続けることが大切だと感じました。信じる者こそ救われる、とつくづく思いました。そして、2人の笑顔を思い浮かべると、つい、「医者になってよかったナ」と涙ぐむ自分に気付くのです。

(1995年7月)


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