「私の息子を一度診ていただけませんか。とにかく、治らなくて困っているんです」
 ある会で講演をした後、ある会社の社長さんから依頼を受けました。私が独自に力を注いでいる治療についていろいろと話をした後だったので、当然耳鼻科的な病気か漢方的な病気と思い、「いつでもおいで下さい」と簡単に引き受けました。そして、1週間後に30歳ほどの男性がうつむき加減に、申し訳なさそうな顔をして入ってきました。
「実は、3カ月前から、自然にまばたきをして、ついついおじぎをしてしまうのです」
 よく見るとやや首を左に傾け、おじぎを繰り返しているではありませんか。止めようとしてもどうしても頭が動いてしまうのだそうです。まるで別の人格に身体を乗っ取られているようです。「大変な人が来てしまったナ」と、内心大いに慌てました。
 こういう人は時々見かけます。発作的にまばたいたり、顔をしかめたり、口をゆがめたり、鼻をくんくんいわせたり、うなずいたり、肩、腕、手を動かしたりすることなどが見られます。いわゆるチック症で、神経質な人に起こりやすいといわれています。タレントでもこういう表情をする人がいます。治療は、精神安定剤を投与することになっています。しかし、本当にこんな薬で治るのでしょうか。
 この人も、この3カ月間に、さまざまな治療を試みたが、いずれも効果がなく、しまいには、「こんなものは病気ではないから、気にせずに明るく生きていきなさい」と、妙に元気づけてもらったそうです。
 「何かに取り憑かれているのでしょうから、お祓いをして進ぜましょう」と、私は首のまわりをそっと触ってあげました。そして、この薬を飲めば必ず治りますからと言って、甘麦大棗湯という漢方薬を処方しました。
 それから2週間後、やや笑顔で明るい表情で入ってきました。頭は動いていません。
「薬を飲んで3日目にはほとんど止まりました。今では、ごくたまに首を振る程度です。まばたきもなくなりました」よろこびが顔にあふれています。よかった、本当によかったと、内心大いに安堵しました。
 チック症に用いる漢方薬には、抑肝散甘麦大棗湯柴胡桂枝湯などが知られていますが、私は甘麦大棗湯を選びました。この薬は、甘草、小麦、大棗(ナツメ)の三味だけから成っています。興奮したり、痙攣したり、あくびを頻発するときに用いますが、子供の夜泣き、ひきつけにもよく使います。
 あきらめていた病気もふとしたことで治ることがあります。―「なげたらアカン!」

(1996年6月)


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