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| 「5日前から右耳がまったく聞こえなくなりました。それまでは、近くで大きい声を出せば聞こえていたのに」 75歳の母親の手を引きながら、困ったような顔をして診察室に女性が入ってきました。ずっと寝たきりなのに、耳も全然聞こえなくなったとのことで心配そうです。 「左耳は30年前に手術をしていてまったく聞こえません。右耳はわずかに聞こえていましたが、5日前からまったく聞こえなくなったのです。障害手帳も持っています。2級だったと思います」 左耳は手術の跡がありますが、鼓膜はきれいに再生しています。右耳は耳垢が充満し、血液もみられます。どうも何かで耳を触り、外耳道を傷つけたようです。丁寧に、充満している血の混ざった耳垢を取ってゆきましたが、鼓膜の上にある耳垢はこびり付いて取れません。外耳道からの出血もあり、これ以上は処置を続けるのは無理です。 「耳垢が多く、全部は取れませんので、また明日来て下さい。障害者手帳も持って来て下さい」 耳に点耳液を差したあとガーゼを挿入して、とりあえず翌日診ることにしました。 次の日、ガーゼを外すと、頑固に付着していた耳垢も取れ、外耳道からの出血も止まっていました。 「どうです、聞こえますか?」 「ハイ、少しは聞こえます」 笑顔で答えてくれました。しかし、耳をよく見ると何か変です。鼓膜が曇ってみえます。どうも鼓膜の裏に滲出液が溜まっているようです。中耳炎だったのかなと思いながら、鼓膜切開をしてみました。溜まっていた液を出したあと、 「聞こえますか、どうですか?」 「アッ、聞こえます。よく聞こえます」 と、大変びっくりしたような笑顔で答えます。付き添いの人も驚いています。普通の大きさの声で聞こえるようになったのです。 障害者手帳を見せてもらうと、右80dB、左90dBで3級の障害になっています。 「変だナ、これは多分40dBはありますヨ」 不思議に思い、聴力検査をすると、右は50dBです。これでは、障害者としては6級がやっとです。長い間、中耳腔に分泌液を溜めたまま、聞こえないと思っていたのです。30年以前の障害者認定ですから、十分に耳の診察も受けていなかったのかもしれません。 一般に滲出性中耳炎になると、程度の強い人で40〜50dBまで聴力が落ちることがあります。この人は、もともと聴力が弱かった上に滲出性中耳炎となり、80dBの聴力の低下となっていたのでしょう。今の治療なら鼓膜を切開し、鼓膜に換気用の小さいチューブを留置すれば、たちまち聴力は改善します。この方も、チューブを挿入し、通気をしばらく続けて、日常会話ができるまでに聴力を改善させることができました。30年ぶりの聞こえです。 耳が聞こえない人で、滲出性中耳炎になっている人は多いものです。しばらく放って置いている方は、念のため、一度耳を診てもらうことを勧めます。 (1997年2月)
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