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| 先日、父母の金婚を祝って食事会を行いました。酔いも回り、話に花が咲いていた時、父が突然、「うちの祖父は、殿様の家系と言われている」と言い出しました。私は、今まで1度も聞いたことがなかったので、つい身を乗り出しよく聞きますと、熊本かどこか九州の殿様の落し子が父の祖父、つまり私の曽祖父だというのです。そういえば、ひげ剃り後に見る自分の顔は、何となく気品が漂っていることを思い出しました。そして、ひょっとしたら細川首相は私の遠い縁戚かもしれないと心が騒ぎました。 次の日、このことについて詳しく知っているという父の末弟である叔父に早速電話をして聞いてみました。すると話はこうです―。 殿様というのは、熊本細川家ではなく、佐賀藩鍋島家の鍋島直正公でした。(残念!)幕末の頃大活躍した十代直正公には、正室に子供ができず、側室の子が8人いました。しかし、本当はあと2人子供がいたというのです。この2人は、当時では大変不吉とされた双子だったので、生まれてすぐ里子に出され、そのうちの1人が私の曽祖父に当たるのだそうです。私の実家は南宇和郡城辺町の山里にある曹洞宗の末寺ですが、曽祖父は1度仏門に入ったあと、後継者のいなかったこの寺を継いだとのことです。叔父が早速、鍋島家が特集されている毎日グラフを送ってくれたのですが、この家系図を見ると、直正公の長男直大公は弘化3年(1846年)の生まれとなっていました。曽祖父は嘉永6年(1848年)の生まれですから殿様の2番目の子供だったという話に当てはまります。アルバムを見ると直正公は、もう1人の私の叔父(父の末弟)にそっくりではありませんか。しかし、私には全然似ていませんでした。 直正公の子孫は、家系図を見ると次男、3男がそれぞれ小城藩主、蓮池藩主になり、また、それぞれの子孫も皇室や華族などの名家とのつながりのある人ばかりで、華やかな家系を築いています。それに引き替え我が家のご先祖様は、双子というだけで、不遇な一生を送ったようでした。何という歴史の皮肉!直正公は、いろいろと活躍しましたが、医学の分野でも種痘を広めたことで有名です。 歴史のロマンと謎を秘めた、私の曽祖父の過去をもう少し詳しく調べ、真偽のほどを確かめたいと思います。はたして、私の曽祖父は殿様の子だったのか、あるいは、ただの大ぼら吹きだったのか? 秋の夜長のホットな話題、頭までホットになりました。黄連解毒湯を飲んで、頭を冷やして寝るとしましょう。 (1993年11月)
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